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連載|ものづくりの視点

街の居間となった丸の内仲通り

東條 隆郎

皇居と東京駅の間、内堀沿いを走る日比谷通りの1本東側に平行して走る通りがある。晴海通りから永代通りまで通じ、平日、休日を問わず賑わいを見せているのが、通称「丸の内仲通り」である。かつての丸の内をご存知の方は、ここ数年の整備改修による仲通りの劇的変化に驚かれていることだろう。この変化は2002年、新しい丸ビルの完成とともに始まったが、その改築計画がスタートした当時、丸の内はビジネスマンが行き交う街であった。特に午後3時以降は、ビルの1階に入居していた金融機関や証券会社の店舗が窓口を閉め、仲通りはシャッターが閉められるような街となっていた。また、休日ともなるとほとんど人通りのない静かな街であった。その仲通りが、今やビジネスマンだけでなく外国からの旅行者、親子連れ、男女を問わずさまざまな年代の人々が行き交う、魅力あふれる通りになっているのである。

現在の仲通りは幅員21m、両サイドのビルは高さ31mで軒線が揃い、地面は落ち着いた色調の斑岩が歩道・車道ともにリズミカルな模様に敷き詰められている。街路樹はケヤキをはじめカツラ、アメリカフウ、シナの木などの落葉樹が植えられ、道路と歩道の間に置かれたプランターやハンギングフラワー、ベンチがゆったりとした佇まいを見せる。また、これらの緑がビルの1階に連なる内外のブランドショップの華やかなショーウインドーとともに、その時々の季節を演出し、行き交う人々の目を楽しませてくれる。特に春先には、穏やかな日差しを受け、新緑に包まれた通りに落ちる木漏れ日はとてもやわらかく、明るい色の商品が並ぶショーウインドーや、爽やかにそよぐ風とあいまって春の訪れを感じさせてくれる。

芦原義信氏は著作『外部空間の設計』や『街並みの美学』の中で、人間の顔を識別できる距離は70フィートないし80フィートであること、さらに、通りの幅員と建物の高さの良好な関係はH/D≒1.5で表せると述べている。また、街路空間と人との関係について示唆に富んだ論考をしたバーナード・ルドフスキーは、その名著『人間のための街路(Street for People)』において、街路は単なる道路ではなく、歩行する人間のためにある。街路とはエリアではなくボリュームなのであり、街路はそこに建ち並ぶ建物の同伴者である。街路は母体である。都市の部屋であり、豊かな土壌であり、また養育の場でもあると述べている。こういった指標に照らし合わせると、丸の内仲通りはちょうど70フィート、約21mの幅員があり、反対側の歩道を歩いている人の顔や店舗の様子もおおむね認識できる距離にある。さらに仲通りに面した部分のビルの軒高さが31mであるためH/D≒1.5にも当てはまる。また、仲通りの担っている役割はまさに「人間中心の街路」でもあり、この地を拠点に活動している人々にとって、通り沿いの建物と一体となって「心地よい」「安心感」を与える丸の内の「居間的な空間」になっているのである。これは単に都市計画や建築の成果だけではなく、企画や街のマネジメントの力にもよっていることは言うまでもない。

丸の内仲通りの歴史を紐解けば、この呼称が使われ始めた大正7(1918)年頃には、幅員は7間(約12.m)で、仲通りに面し「仲九号館」といったビル名称の頭に「仲」のつく3階建ての煉瓦造りの事務所が軒を連ねていた。当時既に丸の内は、東京駅開業(1914年)の影響もあり、30棟の建物が建つビジネスセンターとして活況を呈していたようである。戦後、昭和30年から40年の日本の高成長によるオフィス需要の急激な増加やモータリゼーションへの対応のため、丸の内が軒高31mの鉄筋コンクリート造のオフィスビル群に建て変わった際、幅員が21mに拡幅されている。

こうやって振り返ると、これから数十年の時間の経過とともに、さらにこの通りに新しく機能や用途が加わることは容易に想像できる。今後の街のさらなる熟成と、丸の内仲通りの変化に期待している。

街の居間となった丸の内仲通り