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連載|ものづくりの視点

アフリカにて

豊泉 正雄

私がアフリカの大地に家族共々暮らした3年間から、35年の月日が過ぎようとしている。当時の日本のアフリカへの認識は、コレラ・黄熱病・マラリア等々伝染病や風土病など衛生管理上の問題や、部族間の抗争・人種差別・貧困から生じる治安の悪さなどから、まさに辺境の地であり、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』に描かれているように、この地はサラリーマンにとって左遷の地でもあった。

大きさと多様さからくる「魅力」と「リスク」の双方を抱えたアフリカであるが、今、その評価は大きく変貌しつつある。急激な内需拡大により、最後の巨大マーケットとして世界中の関心が集まり、先進諸国からの投資・経済交流は活況を呈している。

当時、20歳代であった私は商社に出向し、アフリカの最貧国の一つにおいて、円借款による国際空港建設プロジェクトにプライムコントラクターの一員として従事していた。発展途上国である同国でのプロジェクト運営は、当り前の事を実行する事でさえ、困難を極めた。底の抜けたバケツ状態の雨期に代表される気象条件の悪さ、共産主義国に囲まれた国土ゆえの物資調達の制約、ポテンシャルの低いサブコン、約束を守らないサプライヤー、勤労意欲の低い現地労働者等。過酷な環境下で、洗練された世界戦略手法を心得た英国人コンサルタントによるコントラクトマネージメント、クオリティコントロール、係争処理技術が重くのしかかる。

日々起こるさまざまな困難な状況の中、拡大するスケジュールの遅延に対処し、時にはプロジェクトの収支を度外視し、遠路南アフリカから鉄筋を空輸、日本からは建設機材の導入や職人の方々の招聘等を実施したこともあった。しかしながら、これらも全体工程の短縮への特効薬とはならず、契約書に謳われた工事遅延のペナルティを恐れ、悶々とする日々は続いた。

当初の予定からはかなり遅れたが、最終的には国家の最重要プロジェクトの一つとして無事竣工に至った。それまでの我々の不断の努力は先方政府機関や関係者に認められ、ペナルティは免除、その功績は高く評価された。また、竣工後30年を経た現在も大陸内部の国際空港としてその国の経済発展に大きく寄与しており、今も輝き続けている。

今、振り返れば、当時の辛くて、苦い経験は見事に長い年月に洗い流され、私にとってのアフリカの日々は、日本では経験しえないプロジェクトに触れることのできた貴重でかけがえのない思い出に昇華している。澄み渡る紺碧の大空の下、赤茶けた大地に、さまざまな国からさまざまな色の眼や肌の人々が集まり、それぞれの特性を発揮しながら、一つの目的に向かい力を合わせ、議論を重ね、時には反目し合い、共に汗を流し、笑い、泣いた時間。貧困の中でも明るさと生きる事へのひたむきな姿勢を失わない現地の人々の逞しさ。その記憶は、その後の私たち家族にとって貴重な財産となっている。

当時住んでいた場所から車を二時間走らせると大地溝帯の一部を成す「湖のガラパゴス諸島」の異名をとる大きな湖に辿り着く。平和で静かで自然がありのままに残されている地上の楽園である。地上の楽園、自然環境の保全は高く評価されるべきであるが、今後、日本列島をガラパゴス化させない為に、これからの日本を支えてゆく若い世代の方々にお願いしておきたいことがある。技術や知恵は、自分の殻に閉じ籠り、外界を遮断することにより陳腐化への途を辿ってしまう。少しでも多くの人々や広い世界に開かれた環境の下、さまざまな困難な与件や課題に晒され続け、試行錯誤を繰り返す事により人は健全に育まれ成長する事ができる。昨今、海外留学を希望する大学生が減少傾向にあり、若者の内向き志向が指摘されている。日本人ならではの知の創造をもち、技術交流や経済交流を通して教育・医療・建設・エネルギー・環境などさまざまな分野に一層の磨きをかけ、世界の人々を幸せにする一助にして貰いたいと願っている。

アフリカにて