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連載|古図面の旅

第20回 横浜正金銀行東京支店(大正11年)[関東大震災後の補強工事図面が語るもの]

鰐淵 卓

1914(大正3)年、東京駅が開業し、第一次世界大戦による好景気も手伝って丸の内は建築ラッシュを迎えた。横浜正金銀行東京支店は現在の丸の内永楽ビルのある永代通りと仲通りの角地に1922(大正11)年竣工した。

設計は桜井小太郎で三菱銀行本店と同時期。三菱銀行もしかり、当時の銀行建築は信用=格式を示さんと古典的なファサードが主流だったが、この建物はシンプルなセセッション風のデザイン。室内は中央が吹き抜けており、ガラス天井から1階の営業室に光が降り注ぐ。営業室の来客スペースには、RC造の“丸柱”が配されていた。

この建物に関する設計図面は、桜井のもと藤村朗が担当した「新築工事図面」、そして桜井退社後、藤村のもと川元良一が担当した「補強工事図面」が残されている。この「補強工事」とは一体何だったのだろうか。竣工の年の4月、東京地方に強震が襲った。この時工事中だった丸ビルでは、外壁の煉瓦、間仕切壁のホローブロックが崩れ落ち惨たんたる状態となったことが知られているが、図面を見るとこの銀行の壁も同様の造りをしている。おそらく被害は免れなかったであろう。さらに泣きっ面に蜂、竣工翌年9月には関東大震災が襲った。補強工事図面は震災から僅か二か月後に書かれており、残された図面からは震災直後の耐震改修工事の考え方が克明に読み取れる。

補強工事では、煉瓦の外壁とホローブロックの間仕切壁を取り去り、RC柱の表面をはつって柱も壁も一体的にRCで打ち足された。先ほど見た1階営業室の丸柱は、被害が大きかったのか、または心細く見えたのか、ひと回り太い“角柱”に変更された。さらに詳しく見ると、角柱に変更された1階営業室の来客スペースの柱間には、新築図面にはなかった“アーチ”が施されたことがわかる。丸柱の空間から、角柱が連なる連続アーチ空間への読み替えが、銀行としての格式を保ちながらも強度を高めるという要請への解だったのではないだろうか。

横浜正金銀行東京支店(大正11年)

上左:横濱正金銀行東京支店北、西側建図
上右:横濱正金銀行東京支店断面図
下左:(補強)横濱正金銀行東京支店一階。鉄筋混凝土柱詳細図
下右:(補強)横濱正金銀行東京支店鉄筋混凝土迫持詳細図

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